奇跡の街・ホイアン「ボロボロのスラム」はいかにして世界遺産になったのか?

旅とデュアルライフ

いまや世界中の旅人を魅了する、ベトナム・ホイアンの「マスタードイエロー」の美しい街並み。

満月の夜、街灯が消え、無数のランタンの柔らかな光に包まれるこの幻想的な奇跡の空間は、実はほんの数十年前、歴史の闇に完全に埋もれ、消え去る寸前だったことをご存知でしょうか?

この街をスラム化と破壊の危機から救ったのは、泥まみれになって歴史の屋根裏に潜り込んだ、名もなき日本の研究者たちでした。

今回は、ただの「映える観光地」という枠を超えた、ホイアンという街の本当の価値と、日本との知られざる絆の物語をお話しします。

レタントン
レタントン

長い在住生活ですが、ホイアンの奇跡、知りませんでした。

田舎すぎて、爆撃から逃れた!

今でこそユネスコ世界遺産として輝くホイアンですが、1980年代の旧市街は、観光地でも何でもありませんでした。

さかのぼること18世紀後半。この一帯に大量の土砂が堆積し、大型船が入港できなくなってしまったため、貿易の拠点は隣のダナンへと移ってしまいました。

しかし、これが「歴史の皮肉にして最大の幸運」となります。

軍事的・経済的な価値を失ったため、ホイアンはフランス独立戦争やベトナム戦争の凄惨な爆撃の標的から外れ、結果的に「かつての貿易の街」がそのままの姿で残ることになったのです。

この記事を書くことになったきっかけはAIとの会話でした。ファクトチェック済】

「価値ゼロ」と見なされた1980年代のホイアン

その後も、ホイアン度重なる洪水を経て、朽ち果てる寸前の「ボロボロの古いスラム」と化していたのです。

当時のベトナム政府すら、その古い木造家屋に経済的な価値を見出していませんでした。

「こんな古い家は取り壊して、近代的なビルに建て替えよう」

そんな再開発計画が、まさに現実のものとして進みつつありました。

ホイアンの歴史は、ここで一度途絶えようとしていたのです。

廃墟に多文化融合を見抜いたポーランド人・カジク氏

ここで、第一の転機が訪れます。

1981年から近郊のミーソン遺跡の修復に来ていた、ポーランド人建築家のカジク(Kazik)氏です。

ホイアンにあるカジク記念公園の像

誰もが「ただの古い建物」と見捨てた街並みに、彼は強烈なポテンシャルを見出しました。

  • 一つの建築物の中に、異なる時代の文明が同居している」
  • 建物と建物の間隔、水の流れ、水路との距離、路地の向き、全てが「気の流れ(風水)」を考慮
  • メンテナンス思想・400年間「同じ材料を修理し続け、住み続ける」

400年前、潮の流れを読んでこの地に辿り着いた商人たちが、異なる文化を「排除」するのではなく、「ひとつの屋根の下で融合」させる道を選んだこと。

カジク氏はその多文化融合の極致を見抜き、世界へ向けて保存を強く訴えたのです。

救世主は、泥まみれになった日本の研究者たち

カジク氏の熱意を受けたベトナム政府は、その保存と修復のために日本へ援助を求めました。

その絶望的な危機を救ったのが、昭和女子大学の友田博通教授を中心とする日本の建築専門家チームでした。

1993年、文化庁の指導のもと現地に入った彼らは、資金も限られる中、信じられないような行動に出ます。 暗く、埃っぽい建物の天井裏に自ら潜り込み、1000軒以上もの古い家屋を一軒一軒、手作業で測量し、図面化していったのです。

何百年もの間、アジアの風と潮が交差し、多様な文化や祈りが調和したまま残されているという、その空間の「圧倒的な本質価値」への純粋な畏敬の念だったのです。

損得抜きでそのポテンシャルに惚れ込み、現地の人々と共に汗を流した泥臭い情熱が、結果として奇跡を引き寄せました。

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💡 おすすめ!ホイアンで泊まるならこの3軒

ホイアンの真の魅力は、日帰りのツアー客が帰った後の「静寂とランタンの夜」にあります。ぜひ一泊して、400年前のエネルギーを肌で感じてみてください。 私が実際に泊まって、心からおすすめできるホテルを目的別に3つ厳選しました。

① 【リゾート満喫】旧市街にも近く、リゾート気分も味わいたい方へ

ラ シエスタ ホイ アン リゾート&スパ (Agodaで詳細を見る)

② 【旧市街のど真ん中】歴史と風情にどっぷり浸かりたい人へ
マルベリー コレクション シルク マリーナ (Agodaで詳細を見る)

③ 【リーズナブル+長期滞在】喧騒から離れて海沿いでのんびりしたい方へ
フィヴィテル ホイ アン ホテル (Agodaで詳細を見る)

観光で「自立」する仕組みをゼロからデザイン

さらに素晴らしいのは、日本チームの思想が「直して、終わり」ではなかったことです。

現地の人々が自分たちの手で街を修復し、歴史を守りながら「観光」で自立していける仕組みを、彼らはゼロからデザインしました。

その圧倒的な調査データと修復支援が決定打となり、1999年、ホイアンは無事にユネスコ世界遺産に登録されました。

破壊の危機にあったスラム街は、こうして世界的な観光地へと見事な復活を遂げたのです。

こうして奇跡的に守られたホイアン。

実は、この街を救い、現在も共に歩み続ける「現代の日本人への感謝のメッセージ」が、ベトナムを旅するあなたが必ず手にする『あるモノ』に密かに刻まれているのです。

そしてそこには、400年前に海を渡った日本人がもたらした「ある美味しい食べ物」の秘密も隠されています。

次回は、その秘密と、ホイアン名物のルーツについて紐解いていきます。

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