ベトナムの歴史シリーズ第1弾です。
ベトナムは、独特の風土と多様な民族が織りなす、深い歴史と豊かな文化の宝庫として知られています。古代から現代にかけて、多くの出来事や物語がこの土地で生まれています。
その中でも、ヴァンラン国家(文郎国, Văn Lang)とフン・ヴォン(雄王, Hùng Vương)と伝説は、ベトナムの歴史やアイデンティティを理解する上で欠かせないトピックとして注目されています。
毎年旧暦の3月10日には、このフン大王の命日として、祝日とされ、今でも彼の偉業を称えるお祭りが行われるほど、大事な人物です。
今回は、フン・ヴォン王とヴァンラン国家の成立について、解説していきます。
ベトナムの歴史を知れば、ベトナムについてもっと深くしることができると思い、調べながら書いていきたいと思います。
文郎国(ヴァンラン国, Văn Lang)の誕生
伝説によれば、紀元前8世紀から紀元前7世紀頃、北部と北中部の大河川のデルタ地域に大きな部落が形成されたちされたと言われています。
その中で、初めて国家としてあらわれたのは、ベトナム史略によれば、紀元前2879年に赤鬼国と文郎国が興ったとされています。
赤鬼国(Lạc Việt)は、古代ベトナムの部族または国家の一つで、紅河デルタ地域に存在していたとされます。赤鬼国の人々は「Lạc」とも呼ばれ、彼らは紅河デルタ地域の水田耕作を中心とした農耕文化を持っていました。
その後、フン・ヴォン(雄王)が赤鬼国を統一し、ヴァンラン国家(文郎国)を建国したとされています。
初代フン・ヴォン(雄王)の即位をこの年(紀元前2879年)とする「ベトナム5千年の歴史」といわれることがあります。
ドンソン文化と文郎国(ヴァンラン国, Văn Lang)
文郎国の時代、紀元前2千年紀から紀元前1千年紀にかけて、ベトナム北部の紅河デルタ地域を中心にドンソン文化が繁栄しました。
この文化は、青銅器の製造技術が高度であり、特に銅鼓やその他の青銅製の祭器が特徴的です。
文郎国の時代の人々は、ドンソン文化の技術や芸術を受け継ぎながら、その独自の文化や社会を築き上げていったと考えられます。
雄王(フン・ヴォン, Hùng Vương)とは?
初代国王 フン・ヴォン
フン・ヴォンは、ベトナムの伝説において、ヴァンラン(文郎, Văn Lang)国家の初代の王として知られています。
彼はベトナムの歴史において神話的な存在として語られ、ヴァンラン国家の設立とその発展に大きく貢献しました。
彼の統治下で国は繁栄し、多くの部族が統一されました。
彼は賢明な王として知られ、彼の統治下での平和と繁栄は後の世代に語り継がれています。
フン・ヴォンはしばしば龍と妖精の子として説明され、これはベトナムの人々の起源に関する伝説と深く結びついています。
彼の人柄や統治に関する伝説は、ベトナムの文化や歴史において重要な役割を果たしています。
神話か現実か?
フン王はベトナム史上初の国家とされるバンラン国の18代にわたる歴代王の総称です。
フン・ヴォン1世は紀元前2879年に生まれ、フン・ヴォン18世は紀元前258年に亡くなりました。
つまり、1世から18世までの王たちの平均寿命が145歳とされることは、現代の視点からは非現実的です。
この長寿の謎には2つの主要な解釈があります。
一つは、18人のフン王が実際には18の異なる家系やグループを指し、それぞれのグループが複数の王を持っていたというもの。
もう一つは、18という数字自体が象徴的なもので、ベトナムの神聖な数字である9の倍数であるため特別な意味を持つという解釈です。
ラック・ロン・クアンとオー・コーの物語
『大越史記全書』によると、紀元前29世紀ごろ、龍神の子としてラック・ロン・クアン(Lạc Long Quân)が生まれました。
両親からラック・ベトの土地を与えられ、彼は山と海に 2 つの宮殿を建てました。
その後、彼は美しい妖精、オー・コーに恋をし、彼女を魅了するためにハンサムな青年に変身しました。ラック・ロン・クアンはオー・コーと結婚し、100人の息子を持ちました。
しかし、彼らの間には深い違いがありました。
ラック・ロン・クアンは「水の部族に生まれたドラゴン」であり、オー・コーは妖精です。
「私たちは水と火のように異なる存在で、一緒にいるのは困難です。しかし、私たちの子供たちはこの土地を統治する運命にあります。」
そのため、彼らは決断を下し、50人の子供たちをラック・ロン・クアンが水の宮殿に連れて行き、残りの50人はオー・コーとともに地上で生活しました。
彼らはそれぞれの地域を統治し、国を分割して統治することとなりました。
その後、100人の中の長男が雄王(フン・ヴォン, Hùng Vương)として文郎国を建国したとされ、ベトナム国家の始まりました。
こうしてベトナム民族は、ドラゴンと妖精の孫としてこの地に居ついたと言われています。
この伝説は、ベトナムの歴史や文化、そして民族的アイデンティティの形成において重要な役割を果たしています。
フン王の命日の祭り
ベトナムの旧暦3月10日は「フン王の命日(Ngay Gio to Hung Vuong)」として知られ、ベトナムの数少ない祝日の1つとして、文化的な意味を持つ記念日となっています。
この日は、ベトナムの国家と民族の基礎を築くために尽力した18人の王の功績を称える行事として、2007年からベトナムの祝日に制定されています。
フート省のギアリン丘にあるフン寺歴史遺跡地区とその周辺地域で「フン王祭り」が開催されます。
この祭りは、ベトナム人が共通の起源とフン王という共通の祖先を持つことを示し、伝統国民の団結、愛国心、愛国心の精神を育て、ベトナムの文化、精神性、信仰、そしてベトナム民族コミュニティの団結の象徴としてベトナム人の心に深く刻まれています。
この祭りは約400万人が訪れるベトナム最大規模の祭となっており、フン王へ線香を手向ける儀式や銅鼓の演奏、獅子舞などが行われます。
現在、フン王を称える祭と民謡の3つが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産として認定されています。
【フン寺歴史遺跡地区】
【紀元前後から、20世紀にベトナムの真の独立を果たしたベトナム社会主義共和国の礎、ホー・チ・ミン登場に至るまでのベトナムの歴史を記述した書籍】
まとめ
ベトナムの歴史は、多くの伝説や物語に彩られています。
フン・ヴォンとヴァンラン国家の物語、そしてドンソン文化の関連性は、ベトナムのアイデンティティや国家の形成に関する理解を深めるための鍵となっています。
毎年お祭りがされているということで、いつの日か訪れてみたいと思います。
【第2話:ヴァンラン国から漢の統治へは、こちらから!】
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